共働きが当たり前の世の中ですね。
女性が社会に進出する機会を多くするという考え方は良いのではないでしょうか。ただ、男女雇用機会均等法ってなんなんでしょう。
もしも、育児という概念が無ければ、絶対に必要な法律です。男性も女性も能力に応じて昇進して、お給料が良くなってというサイクルは平等でなければなりません。
ただし育児という概念が加わるとそれは不可能です。旦那さんと奥さんがいて、お子さんが生まれた場合、どちらかが育児をしなければなりません。二人で協力して育児をするということはあっても、では子供が保育園で熱を出したらどちらが迎えに行くのでしょう?熱がひどくて保育園には行けないとき、どちらが仕事を休むのでしょう。それは平等には行きません。もし仮に、お二人で平等に育児を分担したとしたら、そのお二人は昇進には多少なりとも影響が出ます。結局、この法律の主旨からは外れてしまうのです。
男女雇用機会均等法の根幹的なものを否定するつもりはありません。ただこの法案を通す過程で、こういう自体はきちんと話し合われたのでしょうか?育児の分担。育児をすることでの仕事上の評価の差。保育園などの育児インフラ。それらは予想できなかったことなのでしょうか。
今現在、20代30代の平均年収は男女差がだいぶ縮まりました。その分全体の平均年収は落ちました。この取り組みは来るべき団塊の世代の定年退職に向けた施作という話もありますが、団塊の世代も延長雇用している場合もあり、若者は非常に苦しい給与の元、生活を余儀なくされています。そして貯蓄額が低く、子育て年齢も高くなりつつあります。
男女雇用機会均等法は子育て、主夫・主婦というお仕事を蔑ろに考えた結果だと思うのです。主夫・主婦ってそんなに不必要な仕事だったのでしょうか?
男性が、女性が、等しく社会に出て来る機会があることは大切ですが、雇用を等しくする必要はなかったのではないでしょうか?
私は男女雇用機会均等法があまりに理想の元でできてしまった法案にしか思えません。世の中の、それこそ人間の種を残すという最大的なミッションを遂行していた主夫・主婦が減り、労働者が増えたことにより、さまざまなデメリットが生じている気がしてなりません。それよりも世帯としてきちんと所得と育児環境が整えられる術を模索するべきなのではないでしょうか。
ぽちゆき
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